第4回 道灌山虫聞之図
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:上野なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
あれ松虫が鳴いている〜♪
きのう、家に帰ったら大変だったんですよ。玄関を開けたら大きなゴキブリがいて…。
つかまえて食べたの?
食べるわけないじゃないですか! あわてて引き返して深夜営業の薬局で殺虫剤とか捕獲器を山ほど買ってきましたよ。
ゴキブリを唐揚げなんかにして食べる国は結構多いんだよ。美味いのか不味いのかは知らないけど。
うえ〜、気持ち悪い…。
食文化っていうのは国や民族によって全然違うからね。日本のくさやとか、韓国のホンオ・フェとか、スウェーデンのシュール・ストレンミングみたいに強烈に匂う食い物を喜んで食べる人もたくさんいるだろ。「蓼食う虫も好き好き」なんて言うけど、それがあるからこそ世界は面白い。グローバル・スタンダードなんて言われてハンバーガーとか鶏の唐揚げばかり食わされたらたまらんよ。
臭くてもゴキブリの唐揚げよりはマシだと思うけど。
そうそう、虫といえば、虫に関わる日本独自の文化があるのを知ってるかい?
知りませんよ。虫は子供の頃から大っ嫌い!
これを見てみなよ(写真左)。広重の東都名所「道灌山虫聞之図」だ。
何これ? 江戸時代のハイキング? でも、何もない山の上みたいだけど…。
これはだな、初秋の月を見ながら、みんなで虫の声を聞こうという、江戸時代の楽しみのひとつなんだ。この頃道灌山は「虫聞き」の名所だったんだよ。
虫聞きって、その為だけにわざわざ山に集まるの? 信じられない…。
「虫聞き」は江戸の庶民にとっては花見や月見と同じでごく普通のことだったけど、明治時代に入ってからキミみたいに「日本にはそんな習慣があるの?」とビックリした外国人がいた。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンだ。
ああ、「怪談」で有名な人ね。
ハーンは「虫の演奏家」というエッセイの中で普通の日本人が虫の音を音楽と捉えて、もののあはれさえ感じるという、世界でも例のない情緒性を絶賛しているんだ。
う〜ん、外国人に言われると説得力有るかもね。
ハーンは万葉集の「庭草に村雨ふりてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり」とか古今集の「あきの野に道もまどひぬまつ虫の声するかたに宿やからまし」なんていう歌も紹介しているし、「虫聞き」の様子は源氏物語にも出てくるから、少なくとも奈良時代から平安時代頃には習慣として定着していたようだね。
他にすることなかったのかなぁ?
いやだねぇ、風流を知らないヤツは。今だって秋になると向島百花園とか高尾山で「虫聞きの会」が開かれるんだよ。もっとも、今はそんなに虫もいないからあらかじめ飼育された鈴虫なんかを放すんだけど。
田舎のおばあちゃんちに行けば、うるさいくらい鳴いてるけどね。
外国人はほぼ例外なく虫の声を「雑音」と感じるそうだ。これを「音楽」と感じるのが日本人独特の感性であることを発見したのはハーンの功績だけど、それを忘れてしまった現代人は果たして日本人と言えるのかねぇ。
「虫聞き」ねぇ…。イケメンが一緒だったら行ってもいいけど、虫よけのガードスプレーは必需品だわ。
「虫聞き」の必需品と言えば、江戸時代には「虫売り」から鈴虫や松虫なんかを買って、虫の鳴き声、まぁ実際は羽音だけど、それをサクラに使って虫の声を誘導していたらしい。
虫売り? デパートでカブトムシ売ってるのは見たことあるけど。
ハーンによれば、虫売りは元禄時代の神田で始まったようだ。夜になってから縁側にでも置いて月明かりの下、虫の声を家族で楽しんでいたんだろうなぁ。道灌山にはこれといって名所があったわけではないけど、季節の声を聞こうとわざわざ人が集まったわけだ。自然と一体化することが、ごく当たり前なんだな。そういう意味では、昔の日本人にはエコロジーなんていう言葉は必要なかったんじゃないかな。
<次回へ続く>